Smoke & Guns 2-2
「ただいまー。」
声色でサプライズが両親にバレないようにいつものトーンでいつも通りに玄関の扉を黒崎は開けた。
「おかえりー。」
と聞こえるはずの声が今日は聞こえない。
まさか悟られたのか、家にいないはずはない。
そんな黒崎の心配は無用だった。
リビングの扉を開けるとつけっぱなしのテレビの映像と音だけが流れ、いつも新聞を読んでいるはずの父とキッチンで夕食の用意をしているはずの母がリビングの真ん中で倒れていた。
その光景が黒崎の目に映る前に踏み出した右足に触れた液体が現実を黒崎に突きつけた。
おびただしい程の血。周りを見渡すと荒れに荒れた家具。
「は・・・?」
後退りをせずに両親の元に向かったのは黒崎が突きつけられた現実を直視していなかった為だろう。
倒れた両親を揺さぶった瞬間、急に黒崎はその場にへたりこんだ。
「なんで・・・。」
先ほどの間の抜けた声ではない。絞り出したような、そして諦めかけたような声だった。
「で、電話・・・。」
ふらりと立ち上がりパンツのポケットから携帯を取り出しすぐさま警察へと電話をかけた。
「こちら板橋警察署です。ご要件をどうぞ。」
マニュアル通りの丁寧な口調でさえも黒崎には平和ボケした間の抜けた声のように聞こえた。
憤りを覚えた黒崎は強い口調で電話口に叫んだ。
「親がっ!親が死んでるんだよっ!早く来てくれよっ!」
「え!?わ、わかりました!自宅のご住所を教えて頂けますか?」
電話口の警察が事の重大さを認識するのは早かった。
一通り必要な情報を説明しすぐに向かう旨を伝えられ黒崎は携帯の通話停止ボタンを押した。
警察が車での時間、黒崎にはとてつもなく長い時間に感じられただろう。
両親との思い出が脳内を永遠と巡っていた。
通報から15分。警察が駆け付けた時、黒崎の目は泣き腫らした後があった。
「心中お察しします。板橋警察署の安藤です。黒崎優夜さんですね?」
180cmはゆうにあるであろう大柄な男が警察手帳を開いた状態で黒崎に見せ名乗った。
「はい・・・。」
「ホテルに部屋を取ってあります。今日はそこで休んでください。今すぐに詳しいお話をお聞きしたいのは山々ですが明日お願いします。」
黒崎の傷心具合を見て察したのか直ぐに話を聞こうとはせずその日は休ませてやろうと安藤は黒崎をパトカーへ移動させた。
板橋警察署から徒歩圏内にあるビジネスホテルへと黒崎は誘導された。
道中何を話したのか、そもそも話したのか。寝ていたのか、起きていたのか。それすらも分からなかった。
部屋まで案内されると黒崎はベッドまでよろよろと歩き倒れ込むとそのまますぐに眠りに落ちた。
Smoke & Guns 2-1
2.動き出した歯車
静まり返った部屋の中、携帯電話のコール音だけが響いた。
1コール、2コール、3コール。
4コールが終わらないうちに電話口の向こうから声が聞こえた。
「もしもし。」
女性の声だった。
相手の性別は特段驚くことではない。
黒崎優夜は相手が電話に出たことに極度の緊張を覚えた。
しかし、あくまで冷静に。気持ちを落ち着かせ黒崎は会話を切り出す。
「街の便利屋です。依頼の件でお話を伺いたくお電話させて頂きました。」
「えっ。わ、わかりました。会ってお話した方がよろしいでしょうか?」
相手もまさか依頼を受ける旨の電話だとは思わなかったのだろう。焦っているように聞こえた。
「そうですね。場所の指定はありますか?あまり遠くなければこちらからお伺いしますがどうでしょう?」
この切り口は黒崎が依頼を受ける際のテンプレートである。
会話のリードは自分が。彼の中では最早鉄則となっていた。
「で、では、池袋駅前にあるヒナゲシというカフェで待ち合わせできませんか?」
cafe ヒナゲシ。昔からあるベーシックな老舗のカフェだ。
黒崎も聞いたことがある店で場所もあらかたわかっていた。
「わかりました。日時や時間の指定はありますか?」
「明日の13時でお願いできませんか?」
黒崎はデスクに置かれたメモ帳を左手で開きチェックをしたあとそのページに折り目をつけた。
「わかりました。当日の服装とお名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「服装は白のワイシャツにデニムを履いていきます。名前はさきです。宜しくお願いします。」
了解の返事をし、丁重に電話を切った黒崎は先程折り目をつけたページに詳細を書き込んで閉じたあと再びベランダへ向かった。
お気に入りのラッキーストライクを胸ポケットから出し勢いよく下に振ると1本だけ取り出して口元へ運ぶ。
そしてパンツの右ポケットに手を入れライターを取り出してタバコに火をつけた。
煙草から立ち上った煙にふーっと息を吐くと四方に舞って消えた。
ベランダに前のめりに寄り掛かって煙草を吸う黒崎は2年前の出来事を思い出していた。
彼がまだ企業に勤めていた頃。仕事が終わり自宅の通りを歩く黒崎が眺めた時計の針が指し示すのは21時をちょうど過ぎる頃。
自分の帰りを待つ両親に意味も無くケーキをワンホール買ってサプライズを決め込もうと企てていたあの日。
彼の人生の歯車は止まった。
Smoke & Guns 1-1
1.prologue
「ふーっ。」
右手の人差し指と中指でお気に入りのラッキーストライクを口元から離しだらんと腕を下ろした黒崎優夜は長い一息を吐いた。
バルコニーの手摺に肘を付いた左手にはエメラルドマウンテンの缶コーヒー。
毎日の朝の週刊である。
ふとバルコニーから地上を眺めると慌ただしく走る新聞配達員の青年、犬の散歩をする老夫婦、ランニングをする男性。
これもまたいつもの光景だ。
飲み終わった缶の中に吸殻になったラッキーストライクを押し込むと、ジュッと音を立てて火は消えた。
バルコニーのガラス戸を開けて部屋へ入ると黒崎はパソコンデスクへ向かった。
使い込まれたシステムデスクの上にはサブモニターを含めて3台。
マウスもキーボードも黒一色。
すべて彼の商売道具なのだ。
慣れた手つきでパソコンを操作していくとあるサイトが画面上に表示された。
[街の便利屋]
そう、彼の仕事のサイトだ。
ペットの世話、荷物持ち、留守番など小さなことから浮気調査、身辺調査のような探偵まがいの案件。
依頼人の望むことであれば基本的には全て請け負うまさに街の便利屋が彼の仕事。
朝バルコニーで煙草を吸い部屋に戻って依頼のチェックをする。ここまでが黒崎優夜の毎朝の決まりなのだ。
この仕事を21歳の頃に始め2年、客足は微力ながらも増え続けていた。
今日もいくつかの依頼がメールボックスに届いていた。
来た依頼を受けるも受けないも全て彼の自由、ルーズで気分屋な黒崎にはしょうに合っていた。
ふとマウスのホイールをあるポイントで止める。
「これは・・・。」
黒崎の手を止めた案件の題にはこう書かれていた。
[蓮の刺青を入れた男]
「まさか・・・!」
恐る恐る本文を表示するべくマウスを左クリックする。
[私の家族は蓮の刺青を入れたある男の手によって殺されました。
警察は表立って報道も捜査もせずもう約1年も経ちます。
どうか私の無念を晴らしてはいただけないでしょうか?]
本文の最後には電話番号だけが記載されていた。
黒崎の胸は妙にざわめいた。
この依頼に何かを感じたのだろう。
気付けば部屋のベッドに投げ捨てられた携帯電話を手に取りメールに記載されていた電話番号へ電話を掛けていた。
丁度2年前、黒崎が街の便利屋を始める前の鮮明に残っている頭の記憶。
蓮の花の刺青。
ただそれだけが今の黒崎を突き動かしていた。
2年前で止まっていた運命の歯車が動き出す音が黒崎の中で聞こえた。